第三話 福澤諭吉の育ち、教育観、『福翁自伝』 諭吉型人間はどの様にして育つのか
『福翁自伝』の中から幼児から 15 歳くらいまでの、子育て教育に関する部分を抜粋します。自然に子どもらしく育っていることが分かります。
a から g のカッコ内が、『福翁自伝』からの抜粋です。ご存知の通り、例年、慶応幼稚舎、慶応義塾横浜初等部受験においては『福翁自伝』を読んで、願書に所感を述べる必要があります。 以下、抜粋
a.「私が少年の時から家にいて、よくしゃべりもし、飛びまわり」
b.「またそのしつけ方は温和と活?とを旨として、たいていのところまでは子供の自由に任せる。(中略)いかなる場合にも手を下して打ったことは一度もない。(中略)一家の中ではまるで朋友の様で今でも小さい孫などは、阿母さんはどうかするとこわいけれども、お祖父さんが一番こわくないといっている(中略)あまり厳重にせぬほうが利益かと思われる。」
c.「私は、はなはだきらいであったからやすんでばかりいて何もしない。手習いもしなければ本も読まない。十四か十五になってみると(略)自分で本当に読む気になって(略)会読をすれば、必ずその先生に勝つ。先生は文字を読むつもりでその意味は受取の悪い書生だから、これを相手に会読の勝敗ならわけない。」
*ルソーの時代の公教育といえば、神学上の教義問答や修辞学のテーマを暗誦させることで、本来大人のために作られたカリキュラムをそのまま子どもに適用しただけのものでありました。それには、子どもの学びも、学ぶ楽しさもなかったのです。
もちろん、子どもに適した本の読み聞かせは大切な子育・教育です。しかし、子どもが興味を持てない、理解も出来ないことを押し付けるのは、教育の陥穽※(かんせい)の一つです。この時期に大切なのは会話、読み聞かせによる「音声言語」です。言語であれ何であれ、乳幼児期の子どもは、自分が興味を持ったことからのみ学ぶのです。諭吉は意味も分からず儒学の教本を素読するような、当時の幼小期の学びを、無意味としているのです。
陥穽※ 落とし穴
*諭吉は貧乏下級武士の次男坊であったため、当時の教育システム(藩学校における厳しい儒教教育に組み込まれずに済み、後の蘭学への道が開けました。
*また、儒教・仏教教育は、封建制度維持のために機能したのであり、新しい時代を切り開く人材を育成することは目指していなかったのです。当時の社会は変化を想定しておらず、現状を維持してうまく収める教育を儒教教育に求めたのです。
d. 「さてまた子供の教育法については、私はもっぱら体のほうを大事にして、幼少のときからしいて読書などさせない。まず獣身なして後に人心を養うというのが私の主義であるから、生まれて三歳五歳まではいろはの字も見せず、七、八歳にもなれば手習いをさせたりさせなかったり、マダ読書はさせない。それまではただあばれしだいにあばれさせて、ただ衣食にはよく気をつけてやり、また子供ながらも卑劣なことをしたり賤しい言葉をまねたりすればとがめるのみ、そのほかはいっさいなげやりにして自由自在にしておくそのありさまは、犬猫の子を育てると変わることはない。すなわちこれがまず獣身をなすの法にして、幸いに犬猫のように成長して無事無病、八、九歳か十歳にもなればソコデ初めて教育の門に入れて、ほんとうに毎日時を定めて修業をさせる。なおそのときにも体のことはけっしてなおざりにしない。世間の父母はややもすると勉強勉強といって、子供が静かにして読書すればこれをほめる者が多いが、私方の子供は読書勉強してついぞほめられたことはないのみか、私は反対にこれをとめている。」
*一見暴論の様に思えるが、福澤は「人の育ちの本質」をついている。福澤の教育論と、ルソーの教育論『エミール』とは同質である。福澤も「自然の法則」を大切にし、大人と子どもの世界は異なること、自然な環境が大切なこと、感覚教育が大切なこと、体験が大切なこと、遊びが大切なこと、を伝えている。
「脳育成学」の知見では、0 歳~8 歳までの発達に大切な環境は、E.E.E.(進化的に、期待されている環境)であると主張します。EEE は進化の過程で、当然にして与えられている環境で、その環境と十分にかかわることによって子どもは正常に発達する。人とのかかわり、自然とのかかわり、自分の随意筋を動かす、生活とのかかわり、知的好奇心を喚起する環境とのかかわりの事です。
文字言語は、文化的に最近生み出されたもので、小学生になってから学べばよいのです。識字率は言語理解とは相関が低いと言われています。焦らなくてもいいのです。豊かな言語環境、言語生活、生活体験が大切なのです。乳幼児期は、EEE の中で、思い切り体験し、人とかかわり、感じ、物事に興味を持ち、感性や、好奇心豊かな子、小さな随意筋、大きな随意筋を使う機会を沢山持ち、自分が自分の主人公になれる、自立型、自発型の子どもになる。人間としての土台を作るときなのです。
e. 「私は旧藩士族の子どもに比べてみると手の器用なやつで、物を工夫することが得意でした。(略)もとより貧士族のことであるから、自分でいろいろ工夫して、下駄の鼻緒もたてれば、雪駄の剥がれたのも縫うということは私の引き受けで、自分ばかりでない、母のも兄弟のも繕うてやる(略)」
*モンテッソーリ法では、子どもの発達は「目的を持った随意筋運動」にあります。
「目的を持った随意筋運動」は思考の一種であり、思考の前段階でもあるのです。目的を持った随意筋運動を行うために、頭(前頭連合野)の中で、作業の段取りをつけたり、組み立てたりするのです。小さな随意筋運動は生活巧緻性、大きな随意筋運動は指示行動等で受験考査でも診られます。
「お手伝い」も、この「目的を持った随意筋運動」に関連してきます。
乳幼児期における「目的を持った随意筋運動」の豊かな経験の積み重ねは、「自立型」の発達した子どもを育みます。(『モンテッソーリ教育を受けた子どもたち』~幼児の経験と脳~ 相良 敦子)
諭吉の、身辺に自立、お手伝い、創意工夫の工作等、目的を持った随意筋運動等はモンテッソーリ教育法と通じるところがあるのです。
先日あるシンポジウムで、「遊びについて」の海外の研究紹介がありました。その中で「最近米国大手の航空会社では、子ども時代に手を使って遊ばなかった人は、ハーバードやスタンフォードでどの様に成績が良くても採用しない。手を使ってない人は問題解決能力が低いから」(TCM の代表)
我々も「手順を踏む」等の表現を使います。手を使いながら、手順を踏んだり、工夫をしたりする繰り返しが、脳に「問題解決のプロセス」を沁みこませるのでしょう。
g. 「稲荷様をあけてみれば、石が入っているから(略)代わりの石を拾うて入れておき、また、隣家の稲荷をあけてみれば、神体は何か木の札で、これをとって捨ててしまい(略)初午になって、幟を立てたり(略)ワイワイしているから、私はおかしい。」
*おおよそ「自立型」人間は、決められている与件、既存の考え方、権威にとらわれず、自ら本質を求めようとする。これはその表れといえる。
諭吉の幼少期の育ち方、子育てに関する考え方を調べると、意外にもモンテッソーリ教育法が大切にしていることを実践しているのです。
*諭吉が育ったの家風は、子どもを型にはめ込まず、諭吉が合理的な発想ができる土壌があった。
ここでは、諭吉の幼小期の様子をもとに述べました、幼小期以降の諭吉の勤勉さやアイデンティティーを追求する活動も、エリクソンの言う「ライフサイクルモデル」に合致しています。エリクソンについては別の機会で述べます。
『福翁自伝』は諭吉の生涯を記した自伝です。諭吉は啓蒙家ですから、自己のライフサイクルを示して伝えたかったことがあるのです。それは、幼児期の育ち明けでなく、夫々の発達段階における人の在り方の事例です。『学問のすすめ』とは別の観点からの啓蒙です。
・試験に良い成績を執るために学ぶ、ブランド校に入るために学ぶ、就職のために学ぶ、野では本当の力は付きません。また、社会に出ても活躍できないでしょう。
「学ぶことの楽しさ」に突き動かされて学べば、楽しく、探求型の学びができるのです。緒方洪庵の塾で、寝食を忘れて無我夢中で学んだのも、新しい知識を得る楽しみに心が震えたからです。「仕官のために学ぶのでは、あまり学べない」ということも『福翁自伝』には述べてありました(注 正しい表現を本文中で確認下さい)。
「偏差値教育、暗記型教育に追われて、学ぶ楽しさや、感動する体験も積み重ねて来なかった人材が、いかに使えないか」については世界的企業である日本電産(Nidec)の創業者永守重信氏が嘆くところです。彼は私財100億を投下して、京都先端科学技術大学を設立した。日本の教育に風穴を開けるためです。この話は別の機会に述べます。
およそ福澤諭吉が創立した慶應義塾の一貫校で学ぶのであれば、自分自身で興味の持てる分野をなるべく早く見つけ出し、探求し、ある意味「尖った人材」になる気概を持ち、また、現代の実学ともいえる、IT力やコミュニケーション力(英語を含む)を育み、どの様な分野であれGlobal Leaderになる土台を在学中」に形成するべきであると思います。
また、福澤諭吉は常に自分を成長させる場所を選択してきました。これも、『福翁自伝』から学び取るべき部分です。今の時代なら、世界の中で自分を伸ばすベストの学びを選ぶときだと思います。
2020年7月19日
GLE(Global Leader Education)
主宰者 安藤 徳彰