福澤諭吉と啓蒙思想 5 ~日本再生のシナリオ~


『福翁百話』

6章 福澤諭吉 晩年の境地

福澤諭吉は1898年に脳溢血にかかり1901年に逝去したが、最晩年に次々と著作を発表した。1898年には『福翁自伝』を脱稿し、1897年には『福翁百話』が単行本として発行された。
これに先立ち、1896年に義塾出身の古老たちの懐旧会での演説の内容を一部手直しして「慶應義塾の目的」とした。当初の演説には「あたかも遺言のごとくこれを諸君に嘱託するものなり」で終わっている。ここに「慶應義塾の目的」の全文を掲載する。
「慶應義塾は単に一所の学塾として自ら甘んずるを得ず。その目的はわが日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、これを口にして言うのみにあらず、躬行実践、もって全社会の先導者足らんことを欲するものなり」(注。躬は自らという意味。躬行とは自ら行うの意)

『福翁自伝』は自伝であり、そこには福澤諭吉のall aboutが書かれているが、その最終章「老余の半生」の最終は「人間の慾に際限なし」という題であり、「私の生涯の中にしでかしてみたいと思いところは、全国男女の気品を次第に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること、仏法にても耶蘇教にてもいずれでもよろしい、これを引き立てて多数の民心をやわらげるようにすることと、大いに大金を投じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにすることと、およそそこの三ヶ条です」と結ぶ。

では、福澤諭吉の言う、「気品」とか「高尚」とはどのようなものなのか。それは『福翁百話』の中にヒントがある。
人は晩年になると、人生観とか、世界観とか生死観か、大きな問題に取り組むようになる。例えばノーベル賞作家の大江健三郎も受賞後に「宗教がない人にとつての魂の救い」をテーマに『燃える緑の樹』を執筆した。宇宙の広大な観点からすると死は死でなく、形を変えた物質の循環に一つで、燃える緑の樹を通してやがて生命となって戻ってくる。あたかも、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の世界観を彷彿させる。結局仏教的な悟りの世界観と類似している訳だ。
福澤諭吉の達観は、広大な宇宙を実感し、長い歴史を振り返り、科学の目を通し、これにより覚めた超越的な自我を持ち、この世のことを一時の戯れととらえながらも、真剣に生きること、たゆまず務め、進歩するというものだ。達観している自分があるので、過度に目前のことに囚われすぎず、理性的に振る舞える悟りの様な状態であろう。
第八話の中にこのような表現がある。「『己の欲せざるところは人に施すなかれ』というのは昔の成人の教えで、これを『恕(思いやり」の道)』という。『欲するところ』というのは、最高の善・円満の極意で、生きていく上での元となる本当の気持ちである」。「私は道理の上から善悪の基準を定め、宗教の信者は先人の言葉に基準の根拠をも求めているという違いはあるけれど、善を善とし悪を悪とする点においては、結局落ち着くところは同じである」。

福澤諭吉は倫理規範を美という表現でも語る。明治維新後の権力者達の行動が彼の美意識からは耐えられなかったのだろう。威張り散らし、爵位にこだわり、酒や女や贅沢に明け暮れる。所詮彼らは下級武士の成り上がりものたちであった。また、武士道はすたれ、廃仏毀釈により仏教が抑え込まれ、儒教の教えは「忠」のみが祭り上げられ、徳も恕も仁も見る影が無かった。特に天皇の一番大切な徳目の仁の心は、天皇の名前には使われたが、その徳が国民に示されたことはなかった。新渡戸稲造が日本人の魂を伝えるべく『武士道Bushido』を著したのは1900年であった。

余談ではあるが、福澤諭吉が自分の活動のモデルとしたベンジャミン・フランクリンも「フランクリンの十三徳」という徳目をまとめ、毎週一徳目を掲げてその徳目に生活を捧げ、年4回転この過程を繰返したという。例えば、「勤勉」の徳目は「時間を空費するなかれ。つねに何か益のあることに従うべし。無用の行いはすべて絶つべし」。このほかにも、自分を律する「節約」、「正義」、「純潔」等の徳目がある。ピューリタンの面目躍如である。


7章 慶應横浜初等部の願書と「福翁百話」

本年度は慶應義塾横浜初等部の願書に「『福翁百話』の家庭や親子関係などに関して書かれている部分を読み、保護者と志願者のかかわりについて感じるところを書いてください。」というアンケートがある。「百話」であるので色々な話があるが、子育てにかかわる章を探してアンケートを作成することは一見簡単である。しかし、子育てや人の発達に関してより深い理解がないと「凡庸」な願書に終わってしまう。何しろ願書担当者は数百という願書を短い期間で選別しなくてはならない。いちいち精読はしてもらえないであろう。ステレオタイプの願書の場合、冒頭の一節で「その他一般」に分類されてしまうであろう。

そもそもSFCは既存の慶應大学の学部に対するアンチテーゼとして1990年に開設された。また、それにつながる慶應義塾横浜初等部も幼稚舎に対するアンチテーゼーとして設立されたものだ。であるから、願書も幼稚舎と同じで良いのかという疑問がある。新しい実学とは何か、時代はどの方向に進んでいるのかという問いだ。

天才の先見性は素晴らしい。しかし、フォロアーは気を付けなければならないことがある。例えば、モンテッソーリ教育の創設者マリア・モンテッソーリが「私の指をさす方向を見なさい!」というメッセージを後世の人に伝えると、フォロアーはモンテッソーリの指先を見つめるのみである。しかし、マリア・モンテッソーリが言っているのは実証科学の実践者として「子どもを良く、科学的に観察して真実を発見しなさい」という意味である。また、この百数十年の間の脳科学や生理学その他の知見によって分かってきたことも多くある。その意味で、調整し進化していかねばならない。しかし、学会の様なものに出席しても、マリア・モンテッソーリの過去の業績をなぞるだけのものが多いのは残念である。

福澤諭吉の先見性と全てに関する洞察力は素晴らしい。しかし、我々はその考えを常に現代に引き直して応用せねばならない。SFCの創設に深くかかわった恩師加藤寛初代総合政策学部長も「新しい実学」という観点でカリキュラムを構成した。(コラム「福澤諭吉シリーズ4」に記述)もちろん彼は福澤先生の多くの著作を座右の書として、日本の経済政策を支えてきた。

「獣身」という概念は素晴らしい。しかし、エリクソンの発達段階説(コラム「成長の樹シリーズ3」にて詳説)によると、7歳から12歳は「学童期」で、発達課題は「勤勉性」なのだ。幼児に時とは違うフェーズに入ってくる。いつまでも「獣身」だけにとらわれていると置いてきぼりを食う。新しい知見と人の発達段階ごとの教育について、踏み込んだ教育観を作り上げることが望ましい。

例えば、英語力はグローバリエーション下のコミュニケーションには欠かせない。将来深い内容を世界の人と対等に論議せねばならい。英語は「音声言語」であり、人生の早い時期に音声識別能力は固定化する。英語教育は幼児の内が望ましいが、遅くても小学校低学年のうちに集中すべきである。

福澤先生は、「私」とい概念を大切にするが、同時に「私」の中の「公」も大切にする。公共心とか社会を潤滑にする規範意識だ。また、規範意識を「美」という感覚で表現もする。
「宗教」に頼らない場合どの様に倫理性、規範性を育むか、向上心をどのように保つか、『福翁百話』はおおくの示唆を与えてくれる。


8章 昭和に入り時代が再び逆行する

「全ての人は平等に作られている」と唱え、不可侵、不可譲の自然権を掲げたアメリカの独立宣言は福澤の理想であったが、そのためには各個人も独立せねばならないと説いた。また、日本における現実的な国の在り方は立憲君主制のイギリスを模倣すべきと考えた。イギリスでは君主制といっても、王室は実権を持たない「象徴的」な存在であった。
明治十四年の政変により、福澤一派は中央から追放され、時代の流れに逆行した、天皇を神とあがめた中央集権体制が出来上がる。長州勢の仕業である。天皇の意向をもって、富国強兵の側近政治が行われる。
本来ならば、日本は太平洋戦争を経ずして、明治とともに近代国家が実現していたはずである。その方が「民」の力を活性化して国は発展していたであろう。
しかしながら、福澤達の忍耐強い努力により、好転の兆しも見えてきた。従って晩年の福澤はその進化を認め更なる進展を期待していた。事実、大正期には大正デモクラシーといわれていた現象もあった。しかしながら、平民宰相原敬が1921年に暗殺され、民主的であったといわれる大正天皇が1922年の皇太子裕仁(当時20歳)を摂政を迎えることになり、再び時代は軍国主義一色となっていく。昭和天皇は一貫して戦争推進者に『錦の御旗』を与えることになる。しかしそれは、側近による誘導でもあった(内大臣は殆ど長州出身者であった)。


9章 日本再生のシナリオ

激動の昭和、停滞の平成と言われているが、1990年前後は世界の大きな変革点であった。1991年のソ連邦の崩壊の原因は中央集権計画経済が機能不全であったからである。「民」の活力を活用することができなかった。フィンランドの様なソ連周辺国はソ連の崩壊により貿易を失い国家存亡の危機に立たされた。フィンランドには人材以外の資源が何もない国である。大胆な教育改革、人材育成を行った。
一方中国では鄧小平が経済面では資本主義の大胆な導入に踏み切った。一方共産党一党独裁政治体制を頑強に維持した。
1990年はグローバリゼーションとIT革命の入口で各国は新しい未来に対応すべく、人材育成と成長分野に対する資源の選択と集中を行い、制度改革を行い、「民」の力の引き出す政策を執った。いや、その様な改革を行った国がその後成長したのである。例えば、北欧の国、フィンランドやスエーデンは今や5Gで世界をリードし、隣国のエストニアはIT立国を目指し、5歳からコーディングを学んでいる。
この間日本は一人負けの状態で停滞を続け、課題を一つも解決できないでいる。一言で言うと指導者が無能であるからだ。この現象は昭和初期にも表れた、日本の教育システムの欠陥である。「失敗の本質」の本質はそこにある。その様な指導者を支える国民もある意味ふがいない。日本の無為無策はコロナをきっかけでようやく国民が気が付き始めた。
福澤は「科学的な合理性」、「進化」、「民の力の活用」、「教育の重要性」を唱えてきた。福澤スピリッツを参考にして日本も巻き返さなくてはならない。
政治改革で言うならば、竹下派の首領竹下亘、石破茂、河野太郎、小泉進次郎は福澤諭吉の門下である。是非協力して日本再生のリードを執って欲しいものだ。ちなみに、竹下亘君と筆者は慶應大学経済学部K組のクラスメイトであった。彼が聖書片手にキャンパスをひょうひょうと闊歩していたのを思いおこす。

2020年8月31日
GLE(Global Leader Education) 主宰
安藤 徳彰


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