5章 現代における『福翁自伝』の意義
慶應幼稚舎の志願者の保護者ならば、『福翁自伝』を読んで「獣身」について述べれば済むのかもしれない。しかし、加藤寛先生の様な大学者でも、多くの福澤諭吉の書物を読み、福沢諭吉の意図の理解に努め、それが業績の原動力となっていた。福澤諭吉翁の志はまだ道半ばなのである。明治維新はまだ終わらず。また時代はときに逆行もする。社中ならば、『福翁自伝』、『学問のすゝめ』は「座右の書」として扱うべきものである。その中でも自伝には様々な価値がある。
福澤諭吉の教えは何故普遍性があるのか。
福澤諭吉は因習にとらわれず、合理的・科学的な眼で物事を分析した。以前のコラムで「福澤諭吉と啓蒙家ルソーとマリアモンテッソーリの子育て論・教育論の類似性」について述べたいが、その普遍性は科学的な眼で人間を分析したことから生じる。例えば、モンテッソーリ・メソッドが100年以上前に発祥した教育法であるのに現代においても有効であるのは、マリアモンテッソーリが医師として科学者として、実証研究によって子どもを観察して教育法を体系化したからである。
もちろん、そのまま無条件・無批判で受け入れるのは科学的とはいえない。現代の知見に合わせての調整が必要である。モンテッソーリの場合は大脳生理学とかの知見活用が有効である。また、福澤諭吉に関しては、「新しい実学」とは何か、新しい未来とはどの様な世界であるかのビジョンが肝要だ。それによって今の処方箋が生まれる。
福澤諭吉が因習から解放されたのは幾つかの偶然であった。下級武士の次男であり、父親が2歳のときに亡くなったこと。長男であれば幼き頃より藩校で学び、儒学の型にはめられたであろう。母の手伝いを良くし、手先をよく使い、つまり、目的を持った随意筋運動を良く行い、多くのことに興味を持ち、やがて知的好奇心に駆られて西洋の全てを学ぶ。その生育環境は、今の教育学の知見からして偶然ではあるが理想的な条件であった。
『福翁自伝』を読むということ
『自伝』を読むということは、その人物のall aboutを知ることであり、ベンジャミンフランクリンの「自伝」に人気があるのは、その人の生涯を知ることができるからだ。人は生きる上で良いモデルを求める。実際福澤諭吉自身も『フランクリン自伝』を読んでからフランクリンの活動を参考にしている。良いモデルは生涯全てにおけるポラリスとなって方向性を示す。この意味では『福翁自伝』は幅広い人に読まれるべきであり、特に社中においては生涯の「座右の書」である。
諭吉の教育論も同様に素晴らしい。また、諭吉の生活を知るに付け、諭吉の価値観・人間性が見えてくる。自己の確立と独立、他者の配慮、公共性の認識(私の中の公)の重要性などである。
また諭吉の生涯について書かれているので、人の発達段階ごとの様子と課題も見え、人が成長していく上での参考になる。親は子育て・教育の本質を理解して欲しいと思うし、学生は、諭吉が知的好奇心に駆られて貪欲に学んだ時代を模して欲しい。知的好奇心は学びへの原動力であり満足を与えてくれる。アルバイトや遊びに明け暮れ何も考えず、学ばずの青春は虚しい。また、諭吉は常に自分が学べるベストの場を求めていた。これも見習うべきである。
獣身にこだわったのは、特に当時の時代背景からして理解できる。諭吉自身も若いとき2度チフスにかかり死にかけている。また、2歳のとき父親を失っている。1871年に米国留学した塾生小幡甚三郎は1871年に病死、1886年に渡米した塾生馬場辰猪は 1888年にペンシルバニア大学病院で死去している。江戸末期は疫病が蔓延した時期でもあった。
『福翁自伝』は面白い読み物としても読めるし、福澤が全てをさらけだして訴えてくる情報の多さに圧倒もされる。福澤先生の多くの言葉、人生は、私達の導きの糸となると同時に、多くの宿題を提示している。
『福翁自伝』の最終は「全国男女の気品を次第に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること」とある。また、私の家に「書」(もちろんコピー)として飾られている『慶應義塾の目的』にも「気品の源泉、智徳の模範」とある。私には「気品」の真意はわからないが、当時特権階級や役人たちの空威張りや下品さ、生活の乱れに違和感を持っていた人も多くいたようだ。原敬は南部藩の家老の家に生まれだが、後年元老山形有朋を「なんともいえないいやしさ」と評している。そういえば『武士道』を著した新渡戸稲造も原敬と同じ岩手の出身であった。日本の道徳的体系を再構築しようと試みた。「仁」という徳目は支配者には最も大切なものであるが、明治維新以降の歴史で感じたことがない。伊藤博文も女遊びが激しくて明治天皇から叱責されたと聞く。昭和初期になると日本人の精神的頽廃は更に進行する。
(6章に続く)
2020年8月13日
GLE(Global Leader Education)主宰
安藤 徳彰